教育

「高校教育は学問ではない」上野千鶴子が17歳の時に訴えたこと

投稿日:13/10/2019 更新日:

私も上野さんとまったく同意見です。
学ぶことを学べない学校を「学校」とはいえない。
学ぶ楽しさを学べない学校を「学校」とはいえない。
学び方を教えない教育を「教育」とはいわない。
学びたいことを学べない学校に行く価値はない。
学びとは自由である。
自由の中からしか学びは得られない。
学びとは遊びである。
遊びとは学びである。
学びは遊びから得られ、遊びから学びが獲得できる。
学びと遊びは対極にあるのではない。
他社評価ではなく自分自身が納得できるまで学んだかどうかでその価値は決まる。

主体的な学びのためには教えることを押し付けない

しかし、日本の学校では小学校から一方的に押し付けられた他社評価が始まる。自分の課題とはかけ離れたことを否応なしに押し付けられるのだ。
これでは学ぶ楽しさもその価値も分からない。
高校教育は学問を学ぶ場ではない、大学ですらも産業予備軍の姿を呈している。

主体性を育てるとは?
生きる力とは?
学びとは競うことではありません。まずはその認識から始める必要がありますね。
それが分かっていない者が教育なんかできるはずがないです。
根本から教育観を見直す必要があります。
「教えない教育」
自主性を育てる、主体的な学びのためには、まず教えることを押し付けないことが基本になければいけません。
だから、私は自由な学びの場を創りました。
学び方を学びたい方は21世紀の松下村塾に来てください。10月中は無料で開放しています。

現在の高校の授業は、非常につまらない。これは、教師の教え方のうまい、へたに拘わらぬ。おもしろい授業も皆無という訳ではないが、そうしたものは極めて稀であるか、時に、はなはだしい幻滅を伴なってくる。現に息のつまるような緊急感で聞いた覚えがあるが、その時間の終わりに教師はこう言った─「まあ、これは入試には出ませんから、やらなくてもよいんですがね。興味のある人は、大学へ行ってからやんなさい。」現時点において、うまい教師─すなわち生徒の成績を上げさせる教師、というのは、生徒にいかに公式を一つでもよけい覚えさせるかというテクニックを心得ている教師に他ならない。高校教育は、今や自己の本質を見失なってしまっている。先生がやれと勧める所謂「勉強」の目的が、一般教養であるとか、人間形成であるとか言う、わかったようでわからぬ、お体裁の題目を、私は信じないけれども、高校生活において最も本来的であるべき授業の在り方がかほどに空虚であるならば、高校生活そのものが無意味である。

「高校教育は学問ではない」上野千鶴子が17歳の時に訴えたこと 寄稿文を発見

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