教育

「不登校」か「不登校じゃない」と分けることがナンセンス

投稿日:30/07/2019 更新日:

「不登校児」とか「不登校生徒」とかいう表現はものすごく違和感がある。というか嫌いです。
学校に行きたければ行けばいいし、行きたくなければ行かなくてもいい。ただそれだけのことです。
「不登校問題」とは何か?
「不登校は問題である」「学校に行かない子は悪い子」だという社会的な認識が問題なのです。これが大前提です。
日本社会は学校に所属することが中心に置かれ基本構成になっているために、生涯に渡ってそれがつきまといます。「不登校児童生徒」という用語もそこから発生しています。特に子どもにとっては学校が住む世界のほとんどになっているために所属先があるかないかは大問題となってしまいます。
そして、日本社会には学校以外の選択肢が限られているために学校がすべて、学校に行くか行かないかの二者選択を迫られます。学校という「枠」を決めるからその内と外が必然的に発生する。内に入れば安心だけど外に出ると不安になる。そんな感覚が押し寄せてくる。それが「見えない不安」となって襲われる。
学校には行っても行かなくてもいい。学校は必要に応じて行ったり行かなかったりしていいし、自分の好きなように利用したらいい。
そして学校という枠を決めるのではなく、枠にはめない「さまざまな」学びの環境を創っていく必要があります。
「不登校は是か非か」「不登校の解決とは」についてはさまざまな考え方があると思います。
大切なことは「自分の生き方は自分で決められる」ということです。どれかを選ぶことはそれ以外のことを捨てることです。
だから選択肢は多い方がいい。選択肢が見える方がいい。
また、「後悔しない生き方」なんてあるんだろうか?とも思います。
私たちにできることは「不登校は問題ではない」という社会的な認識を広げていくこと、そしてみんなでさまざまな学びの場を創っていくことです。
みんなで。
この2つのことについても、これまでに鳥取県民のつどいでも課題提起して多くの方々と意見交換をしてきました。

「不登校問題」の本質とは何か?

「学校復帰」が目的になっている対策と今の学校システムでは子どもも教員も学校からどんどん離れていきます。
クラスジャパンの取組も子どもを追い込み、「すべての子ども」に対応できません。そのためには「学校が変わる」ことなくては不可能です。
学校に行くのは当たり前のことではありません。
それは子ども本人が決めることです。行く行かないの二者選択でもありません。だからそもそも「不登校」という概念など作らなくていいんです。分ける必要もないです。
まずはこの認識を大前提に考えなくてはいけません。「不登校」にまつわる「不幸」はこのような間違った認識から始まっています。これが「不登校」の本質であり、それを見ないでスルーして、個々の子どもの「学校に行けない、行かない」原因探しをしたり子どもの適応指導などの対処療法でかわしたりしているから根本的な解決につながらないんです。
教育行政の間違いもまたこの本質の無理解から始まっています。
社会の認識も教育行政も遅れまくりです。
それがわかっていて改善しないのはもっとたちが悪いです。
学校が変わらなければ、今の日本の学校システムが変わらなければ「不登校」は永遠になくなることはありません。
そもそも「不登校」か「不登校じゃない」と分けることがナンセンスなんです。学校もあり学校以外もありなんです。
だから、私たち大人が手を取り合って子どもたちがのびのびと学べる場所がいろいろできればいい。

誰もが無理しないで通える学校を創る!

今、鳥取県では高校生や大学生も不登校の子どものために何かしたいという思いで行動を始めています。
それがうれしいです。
いろんな子がいていろんな人がいる。
それなのにみんなが一律に同じ時間に同じ空間で同じことをすることに無理があります。
だから学校が合わない子がいるのは当たり前です。
多様性を認めるとは観念ではなく具体的な場作りなんです。
子どもも無理している
保護者も無理している
教員も無理している
みんなが無理な要求に無理して応えようとしているんじゃないの。
だったら、何をどうしたらいいのか?
無理しないで通える学校を創るしかないよなあ。

どんな学校だったらいいかって?
みんなが無理しないで行ける場所であること
自分のやりたいことが自由にできること
自分で課題を見つけそれを追及する学習
児童生徒そして教員の自由が保障される学校
子どものことを100%信じられる職員集団で構成された学校
個に応じた支援が「本当に」できる学校

「その子が学びたい場所が学校」まったくその通りだと思います。
こう考えると「不登校」という概念は意味をもたなくなります。
「不登校」というのは「学校に行くのが当たり前」だということが前提になっていますが、「学び」を中心に置くと「学校に行く行かない」はどうでもよくなります。
学校に行くことで評価されるのではなく、その子の学びで評価する。しかも他者評価ではなく自己評価であることが重要です。
学校ありきではなく学びありきです。

教育委員会の「不登校対策」を問う

これまでにも様々な人たちや団体が不登校解決の取り組みを行ってきましたが、鳥取県でも相変わらず学校に行かない子は増え続けています。もちろん、学校が抱えているさまざまな問題を一生懸命に解決しようと日々熱心に対応している教員もいます。
しかし、鳥取県教委が出しているこの研修資料『あした、また学校で Ⅲ』が実際の学校現場では最低限のことができていないという実情があります。
全ての児童生徒が「学校は楽しい」と感じられるような魅力ある学校づくりはもちろん、「学校へ行くのが当たり前」という認識ではなく「すべての子どもが存在を認められる場作り」「すべての子どもたちが毎日生き生きと学び過ごせるような環境創り」を進めていく必要があります。

不登校は問題ではない。子どもの問題でもありません。しかし、教育委員会作成の「不登校対策」の文面の中には「課題のある生徒」「学校適応」「生産性」「規律」「~させる」など気になる言葉がたくさんあります。
そもそも不登校の生徒のニーズに応えているのでしょうか?
そして、教職員だけでなく広く公開して、いろいろな立場の人たちで議論を進めていったらいいと思います。

不登校は就学義務違反や問題行動とはみなされない

不登校の理解と支援のための『あした、また学校で Ⅲ』の実行力を問う

鳥取県教委「令和元年度いじめ・不登校対策本部会議について」

文科省・鳥取県教委の考える「不登校児童生徒を支援する上での基本的な姿勢」

鳥取県教委は新たに「不登校対応の手引き」を作成し各学校の支援体制を整えるというが

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