暮らし

「新しい生活様式」の強制は人間性を奪う コロナよりも人間の方が怖い

投稿日:02/07/2020 更新日:

外に出てマスクをしている人を見ると怖くなります。
自分だけマスクをしていないと、他人の目がとても怖くなります。

ニュース番組では、毎日毎日コロナの感染者数がトップニュースになっています。
「新しい生活様式」
「ソーシャルディスタンス」

今、あちこちで見聞きするようになりましたが、やはり私には馴染めません。
それどころか、そのたびに嫌悪感、恐怖感を感じます。窒息してしまいそうになります。
これは、きっと命の訴えなのだと思います。

まるで他人を「ばい菌扱い」する生活様式の強制、強要は人間を人間じゃなくするように思います。
「ソーシャルディスタンス」は心の距離まで縮めてしまいます。リモートは頭が疲れます。
「新しい生活様式」によって恐怖に支配されているように感じます。

学校では真面目な子、素直な子ほど我慢しています。
マスクもいやなのに、おしゃべりをしたいのに、「みんなのために」と思って、じっと我慢しています。
そして、マスクをしていないと激しく注意されます。おしゃべりしても注意されます。学校生活すべてにおいて行動が管理強化されています。
だから、先生たちも注意する回数が増えています。
人間が人間じゃなくなっているので、以前にも増して学校がこわい場所になっています。

子どもたちは、自由にのびのびと動き回ったり、友達とおしゃべりしながら会食したりすることができなくなりました。
ほとんど人がいないところでもマスクをして黙っていなければならなくなりました。
給食は教室の中のシールドに囲まれた机で黙って食べなくてもいいと思います。
外にバットごと持って出て食べてもいいと思います。
学校帰りに一人で歩いていて、周りに人はいないのにちゃんとマスクをしている子もいます。
私は、そんな光景を見るだけで辛いです。
その一方で、数人の子が「マスクをしないで」楽しそうにおしゃべりしながら歩いている姿を見るとホッとします。

コロナよりも人間が人間じゃなくなる方がよっぽど怖い

コロナの検査数が増えれば当然のごとく「感染者数」も増えていきます。検査数が少なければその数は少なくなります。これは当たり前のことです。
第2波、第3波を恐れさせているような報道ばかりされていますが、コロナの流行には終わりがないような気がします。
「withコロナ」と、コロナだけ特別怖いもののような扱い方にも疑問を感じるようになりました。共に生きていく、暮らしていくのはコロナだけではありません。
それよりも人間が人間じゃなくなる方がよっぽど怖いです。

政府や知事がネーミングした言葉が大手メディアで毎日垂れ流され、それをなんの疑いもなく日常的に使っている国民がいる。
それになんの疑いもなく従っている国民がいる。
それを受け入れない者は「非国民」と呼ばれ排除の対象になる。
まるで戦時下ではないか!

「新しい生活様式」の強制は人間性を奪う

「新しい生活様式」という言葉を聞いただけで怖くなります。
私はこれまで通り、健康に気をつけながら暮らしていけばいいのだと思います。
「新しい生活様式」の強制は人間性を奪う。
人は人の間に居て初めて人間になる。人と接触することで人間となる。「新しい生活様式」の強制によって、それが加速するに違いありません。
「学校も社会も我慢して生きる必要がある」と意識が強まり、そこで生き残った者が社会を構成するという仕組みだから生きにくい世の中になるのです。
我慢を強いることに未来はない。
自分の生き方は自分で自由に決めたらいいです。

「日本人は科学的な根拠に基づいて意思決定するって教育を受けていない」というのはその通りだと思います。
それに必要な客観的なデータも示されていませんので、「みんながやっているから」ということが基準となっているような気がしますね。
「著名な学者が言っているから」「テレビのニュースで言っているから」など、全く何の根拠もないのです。しかし、根拠となる分析方法も分かりません。
2月3月は未知のウイルスに恐怖を感じていましたが、このところの状況を見ると、コロナ予防よりも責任回避のためにやっているとしか私には思えなくなりました。
これも私の個人的な見解ですが、ここ数か月の経過を見ているとコロナもインフル同様の対応でいいのではないかと思うようになりました。
私は人を見たらばい菌扱いする人間たち、「新しい生活様式」マスクの強要という今の風潮の方が怖いと思います。

新型コロナウイルス国内感染の状況

子どもに言う言葉が無気力状態を生んでいる

大人が子どもに対してよくいう言葉が2つあります。
「しなさい」
「してはいけない」という言葉です。

この2つの言葉が子どもを「不安など情緒的混乱」や「無気力」にしていきます。
学校というところはとにかく「やらなければならないこと」「やらされていること」が多すぎるのです。それが無気力状態を生んでいます。ものを言えない人間を作っています。
そんな中で、今、教員が児童生徒と接するという最も大切なことが蔑ろにされているのです。それが「新しい生活様式」によってますます触れ合うことが禁じられています。
子どもたちのために懸命に頑張っている教員もいますが、個人の努力ではもう不可能なレベルなのです。
だから、学校ではない学びの場、人と人がふれあうことのできる場を作っていく必要があります。
「新しい生活様式」を強制するのではなく「新しい学びの場」「自由遊びの空間」を創っていく必要があります。

自由に好きなことをするのが一番ええわ

やっぱり対面でおしゃべりするのがええわ。
リモートで苦痛を感じるのは制限のある空間に閉じ込められているから、ごっつい窮屈なんだわ。
マスクもせんほうがええ。マスクをしたら自分じゃなくなる。息ができん。
「新しい生活様式」アピールも好かん。そうじゃなくて「自分の生活様式」は自分で決めたらええ。「不要不急」の判断だって「自分にとったらどうか」で決めたらいいこと。他者が一律に決めることじゃない。
我慢せんほうがええ。自由に自分で楽しんだらええ。
「国民が、県民が一丸となって」というのも好かん。別にそんなアピールせんでも個々でできることをしたらええ。
他人からあれこれ指図されるのが一番好かんわ。1回聞いたことを何回も繰り返していうのはもういいかげんにしてほしい。
自由に好きなことをするのが一番ええわ。
個々が自分で考えて自由に動いたらええわ。
空気は読まない。
がまんしない。
いいかげんがいい。
それが一番ええ。

自然な暮らし方。それが最大のヒント

ウィルスの侵入を許してきたのは、人間の不自然な管理によるものだということが分かってくる。
出来るだけ何もせず、自然のままに育てることを優先すると、あれだけ悩まされてきたウィルス病から解放されるのである。不思議なものだ。いや、それこそ自然なのだろう。

人間に置き変えてみれば、日々の不自然な暮らし方、不自然なルールや約束事など、不自然な食事をやめ、自分がやりたいことをやり続け、やりたくないことは可能な限りやらなければ、ウィルスに罹患する可能性は減るのではないだろうか。
今の対策は、その真反対をやっている気がする。
マスクをし、人と人との距離を取り、会話も減らし、消毒液ばかりを浴び、でも満員電車に乗り、やりたくない仕事をやり、レストランは閉まってしまい夜の寛ぎは無くなり、人によってはファストフードやコンビニの加工品しか食べらなくなる。

疑心暗鬼の暮らし、いつ罹患するかという恐怖、メディアから流れてくるネガティブな情報。
これでは、防げるウィルスも防げなくなるに決まっているではないか。

引用元:岡本 よりたかさんのブログ「ウィルスと不自然な今と」より

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