教育

授業の遅れを取り戻すより、子どもたちが時間を忘れて熱中できることをしたらいい

投稿日:18/06/2020 更新日:

「学びを止めない」
「授業の遅れを取り戻す」
「授業日数の確保を」
「足りない分は家庭学習で」
「なんとかしてオンライン授業を」
「入学試験の範囲はどうなる」

こんな議論を聞いていると、情けなくなります。
本当に息苦しくなります。しんどくなります。とても疲れます。
こうまでして学校を維持する目的は一体なんなのか?
学校は誰のために、何のためにあるのか?

学校とは与えられた「ノルマ」をひたすらこなしていくところ、だからこういう発想になります。
こうやって、子どもたちを本来の学びから遠ざけてノルマ(課題)をこなすことだけが目的になる。
そうやって子どもたちはどんどん追い込まれ、学ぶ意欲を奪われ、考えることもしなくなり、無気力になっていく。

今も昔もこれからも、最も大切にしなければならないことは「一人ひとりの自由時間」です。
自分の思いのままに、自分で考え今を楽しむことです。
それを保障する場が学校であるはずです。

日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」である

学校って刑務所みたい

先日、ある中学校の20代の先生と話をしました。
彼はこう言いました。
「なんか学校って刑務所みたいだな。」
「なんだか教員は刑務所で罪人を監視しているみたい。」

生徒達は囚人で、教員は看守のような関係になっている。

学校はこわいところだった、今それがもっとこわいところになっている

学校では生徒の自由意志などというものはほとんどなく、全く問題にされない。
時間割という学校の管理者などが定めたカリキュラム・内容に従い、決められたことだけを強制される。
教室移動は黙って一列で、授業時間は水も飲めないトイレにも行ってはだめ、給食は全部食べるまで掃除時間になっても許されない。しかも友達としゃべってはいけない。

さらに一律一斉の宿題を課され、分かり切ったことを何回もやらされる子、授業が分からないのにそれを課され、できないと叱責され、居残りという罰。
忘れ物を一つでもしたらみんなの前でひどく叱られ、家まで取りに帰される。親もたったそれだけのことで叱られる。一切の「失敗」が許されない。とても安心して過ごせる場とはいえませせん。
刑務所でも、いつどこでどんなことをするかは全て刑務所の管理者たちが決めるのです。
学校と呼んでいる空間も実はこれに近い、まったく同じものがあるのではないでしょうか。学校とは、囚人の矯正の場でも更生施設でもありません。

この教員の命令や校則に従わない生徒はわがままで自己中心的で協調性がない、集団生活ができないという評価が下される。だから、教員の監視の目だけを気にしながら日々を過ごすしかない。

教員も文部科学省や教育委員会などが定めたカリキュラムをこなす、消化することだけが目的となり、学校に通う生徒たちの存在意義は刑務所のそれと何ら変わっていないと思います。
どんなに理不尽だと思うようなことでも、生徒が従わないという選択権はほとんどありません。
生徒は「みんながそうしているから」「教員がやれと言うから従わなければならない」、教員は現場の実態を知らない文科省や教委の命令に従わなければならないという風潮がごく当たり前のように存在している。

新学習指導要領でめざすことは「主体的・対話的で深い学び」、しかし児童生徒の実態は?

私は学校を創造性と個性の殺害、及び知性の虐待の罪で告訴します

学び本来を考えるような議論をすべき

「学びを止めない」とは、一歩的に与えられたノルマをこなすことではありません。与えられたノルマをこなすことを学びとはいいません。
本来の学びは子ども一人ひとりがすでに持っています。それを発揮、実現するための環境つくりが大切です。
それは「授業の遅れを取り戻す」ことではなく、子どもの自由意志を尊重し主体的な活動を保障することでしか実現は不可能です。

「授業日数の確保」なんてどうでもいいことです。それ優先するのではなく、子どもたち一人ひとりが時間を忘れて熱中できることをしたらいいです。それが「学校」という場でできないのであれば、学校外で自由にやったらいいです。
「足りない分は家庭学習で」という考え方で「宿題」を出すから、子どもたちはますますやる気を失うのです。これではノルマをこなすだけが目的になり、どんどん意欲は低下し無気力になっていきます。家庭で学習ができるなら学校は何のためにあるのでしょうか。
文科省の「不登校の要因は無気力」という調査結果があります。このようにさせた要因こそ、一律一斉の課題、みんなと同じことを要求される同調圧力によって生じています。次の進学先に進むことだけを目的とした平均点、偏差値で競わせる学力評価が無気力な子どもを生んでいます。しかし、教育関係者はそれを考えないで、家庭の問題、子ども個人の問題として片付けています。
不登校になる要因は、ズバリ!
子どもが学校に適応できないためではなく、学校が子どもに適応できないためです。
なので、学校環境が変われば不登校は改善されます。

「不登校の理由は先生との関係」子どもと学校との回答に16倍の開きがあった!

「不登校を問題行動と判断してはならない」を実現するために!

「なんとかしてオンライン授業を」という自治体間、教育委員会間の競争も激化しています。そこに民間の教育関係業者も入り込んで、子どもたちがカモにされ親たちも必死になって競争に勝たせようとしている現実があります。大切なことは「オンライン化」して何をするか、何を学ぶかです。一律一斉授業をオンラインでつなげるだけではなんの意味もありません。

自治体間、学校間でオンライン授業競争が始まっている

今、日本の教育界に必要なことは何か

「入学試験の範囲はどうなる」、これもどうってことない問題です。
そういう発想が出てくるのは「なんのために学校に行くのか?」「学校で何を学びたいのか?」という考えがないからです。「学校で何を学びたいのか?」と考えるのであれば、そのための勉強をしたらいいのです。その考えがなく「次の学校に進むこと自体」が目的になっているため、その関門を通過するための受験勉強が必要になっています。何を学びたいかではなく受験に通るための勉強になっていることが問題です。
「勉強するのは嫌いだけど学校には行きたい」って何なのか。学校は勉強するために行くのです。勉強が嫌いなら学校に行く必要はありません。それよりも自分のやりたいことをしたらいいと思います。そうしたら自分にとって必要な勉強が何かが分かります。勉強とは「学校でさせられるノルマをこなすこと」ではありませんから。
「入学試験の範囲」についていうなら、その範囲を前年度までにやった内容にしたらすべて解決できます。さらに「出席日数」など評価に入れないで採点すればいいです。それに加えて、それぞれの学校に来てもらいたい学生の考え方を問う問題を作ったらいいです。

「授業の遅れを取り戻す」「授業日数の確保を」という議論で子どもたちをどんどん追い込んでいることに早く気づきましょう。
与えられた「ノルマ」をひたすらこなすことを「学び」とはいいません。「宿題」という罰ゲームには「害」しかありません。個の主体性を無視して我慢を強いるスケジュールやルールは子どもたちを無気力にさせるだけです。
私たちがすべきことは、すべての子どもたちが「今日は楽しかった」「また明日が来るのが楽しみだなあ」という毎日を作っていくことです。
「失敗」も「経験」として見る、許される。子どもたちが心からホッとできる安心して過ごせる環境が必要です。そのためには子どもたちが夢中になることを好きなだけできる自由な時間を保障することしかありません。

みんな好きなこと、ワクワクすることをして楽しく生きたほうがいいでしょ

21世紀の松下村塾という自由な学びの場で、「子どもの学びを考える勉強会」を行っています。コロナのためにしばらくの間自粛していましたが、様子を見ながら次回の勉強会を計画中です。

「学校とはそういうところ」だと半ば諦めていませんか?

この度の「コロナ対策」も予防対策ではなく、責任回避対策です。それにも多くの人は気づいていますが、誰もクレームをもらいたくないので仕方なく従っています。
その最も顕著な場所のひとつが学校だと思います。マスクにシールドなど、あまりにも過剰な対応です。
このようにどんどん息苦しい世の中になっていますが、みんな流されているように感じています。
それは、確かな情報をきちんと伝えないことが原因です。
情報リテラシー教育がほとんどできていない結果だと思います。
多くの人は「学校とはそういうところ」だと半ば諦めている。
仕方なく従っているように、私には思えます。
まるで、今にも沈みそうな(学校という名の)船にしがみついているような感じです。
でも、学校がすべてではないので、それぞれ好きな生き方を選べばいいんですけどね。

学校はこわいところだった、今それがもっとこわいところになっている

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