教育

日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」である

投稿日:19/04/2019 更新日:

文科省や教委は「すべての児童生徒が来れる学校作り」を掲げていますが、それは不可能に近いです。実行は無理です。
子どもが学校に合わせるのではなく、学校の方が子どもの実態に合わせるという考えでなければなりません。
今必要なのはこんな場所です。
うちの塾の目指している方向と理念と同じです。
完全個別対応で、既存の学校の方向とは真逆です。
日本の教育は崩壊に向かっています。というかすでに破たんしています。
公教育という「安全圏」にいるために、なんとかして存在、維持はできていますが、中身がまったくダメです。
教員の精神疾患も窮屈な学校でのいじめなど人間関係が原因よる子どもの自死も増える一方です。この現実が学校の破たんを象徴していますが、それでも歯をくいしばってかろうじて生存している。それが現在の学校だといっていいです。
学力にしても、いじめの問題にしても、1人の教員が見る人数を減らさないことには、どうしようもない。学校そのものの中身、システムを変えない限り崩壊を止めることは不可能です。
教員を増やすためには、教育関係予算を増やす必要があるが、日本の教育予算がGDPに占める割合は、常にOECD加盟国の中で最低。
教育の質を高め児童生徒の能力を伸ばすには教育予算を増やして人員も増やすこと。
この「当たり前のこと」をしないまま、個々の教員の努力と精神論に依存している学校現場。エビデンスも具体的なアセスメントもないまま、ただただ目先のトラブルを押さえつけて解決しようとしている必死な教員集団。
精神論だけで「もっとがんばれ!」何も根拠のない「きまりだから」と言っているだけでは、決してよい結果は出せない。崩壊に向かう一方なのである。
ではどうしたらいいのか?
個々の教員の能力や個性が発揮できる学校環境にしていくことで教員になりたい人は増えるし子どもたちも学校が楽しい場になります。これはすぐにでも実行可能です。しかも文科省や教委の号令は不必要で、学校単位で実行可能なことが多くあります。
小手先の「働き方改革」はまさに形式的であり、ただの「ごっこ」。改革などと言う言葉を使うことは恥ずかしい限りです。
こんな苛酷な学校現場で先生方はよくやっているなあと思います。
また、児童生徒たちも理不尽な校則や厳しい人間関係、競争競争の毎日でよくやっているなあと思います。
でも、無理して頑張ることは絶対によくありません。
一番大切なのは自分の命と健康です。
自分の限界を超えてまで頑張る必要はありません。

私は学校を創造性と個性の殺害、知性の虐待の罪で告訴します

一人ひとりが特性が違うのだから、それに応じた環境が必要なのは当たり前なんです。
しかし、学校制度、学校システムはそれを認めていません。「みんなちがって みんないい」と多くの学校に掲示してありますが、みんながちがうと困るのが学校というところです。個性よりも協調性、個人よりも組織を重視する場所が学校というところです。

私は学校を創造性と個性の殺害、及び知性の虐待の罪で告訴します

日本の学校教育は生徒の学力アップにはつながらない!

意味のないことをやらされるとやる気は落ち無気力な人間を生み出します。
これは、教員も子どもも同じです。
では、あるべき教員評価とは?
このシステムは生徒の成績アップにはつながりません。学級の平均点を上げるために成績上位の生徒を優遇し、低い生徒を排除する学級や学校が増えます。だから、娘さんが人間不振になるのも分かります。
あと、無駄な宿題や定期テストも意味がありません。
生徒のやる気をどんどん奪っていくだけですが、それをありがたがる保護者がいるのも事実です。
その要因は学びの本質とはかけ離れた学校教育を受けさせられてきたからです。

日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」

内田樹さんが日本の学校教育の問題について見事にまとめ上げています。
・日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」である。
(そもそも子どものニーズに対応できていない。教えることが教育なのではなく、自分で考え伝える力を身につけることが重要だか、学校ではそれとは真逆なことをしている)
・日本の学生に欠けているのは、自分と価値観も行動規範も違う「他者」と対面した時に、敬意と好奇心をもって接し、困難なコミュニケーションを立ち上げる意欲と能力。
(これは学生に限らず多くの大人たちがそう、それは学校教育によって作り上げられた「負の成果」)
・学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は黙許してきた。(そうすることが教育の目的だと思い込み、責任を逃れられるため)

そして、ではいったい何をやればいいのか、私も全く同意見です。
・それは「学びたいことを学ぶ。身につけたい技術を身につける」とこと。「やりたくはないけれど、やると食えそうだから」といった小賢しい算盤を弾かない。自分の「やりたいこと」だけにフォーカスする。
新年度が始まって3週間、日々の雑務に追われて目の前の作業をひたすらこなす毎日で、考える余地すらないと思いますが、これが永遠に続いていきます。「慣れ」でできることには限界があります。
「10連休まではなんとか頑張って」と考えて無理をしている人も多いのではないでしょうか。
どうか、みなさん、くれぐれも自分の健康を最優先して休むことも大事ですよ。

受験生のみなさんへ

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