教育

学校も社会も嫌なことを我慢する場ではない!学ぶことの意味、働くことの意味を見直した方がいい

投稿日:21/11/2016 更新日:

「社会に出ていくためには我慢がいる。だから学校でも我慢することが子どものためになる」って、本気で思っている人がいます。
「社会は甘くない。だからそのための訓練の場が学校である」と。
そのための「訓練の場」が学校ではありません。
挙句の果てには、「我慢ができなくて自分に甘い子どもが不登校になる」「自分に自信がないから学校に行けない」「不登校の子どもは心が弱いから心を強くしないといけない」って本気で思っている人までいます。これ、未だに学校の教員にもいます。親にも多いです。

はあ?
私は全くそうは思いません。
まったく子どものことが理解できていません。
多くの教員や親、大人は自分は不登校の経験がないので子どもの気持ちが分からないかもしれませんが、間違った認識をして子どもと関わることが子どもを不幸にします。
学校は「教育」という名の虐待をしているのです。
それが「子どものため」だと信じて誰も疑わないことが怖いです。

不登校は立派な自己主張です。
学校はひとつの選択にすぎません。
学校へ行かない権利だってあります。
それを決めるのは親でも学校でもなく、子ども本人です。どこで学ぶかは子どもの自由です。これが大前提です。
まずは、この認識から始める必要があります。

学校に行くか行かないかで、子どもの人生が決まるわけでは決してありません!

自由な学びをしたら社会参加はできなくなるのか?

学校に行かないで活躍している人はたくさんいる「事実」にもっと目を向けよう

納得できない事、理不尽なことも受け入れて我慢することが「いい大人」になるってことでも「立派な社会人」になることでもありません。
「嫌なことにはNO!」といい、誰に対しても自分の意見を言い切る人が立派な大人です。

日本では勉強や学校は大嫌いなのに、ほとんどの人が半ば強制的に学校に通わされ、我慢や忍耐を強いられています。
それを信じて疑いすら感じていない、疑問はあっても仕方がないと諦めている人も少なくありません。
しかも人間関係が苦手なのに無理して空気を読むことを強制されていることに何の疑問も持たないでいる人さえいます。
それは、社会の中で競争に生き残るために必要だから、って本気でそう思っているんですかね?

人間関係が苦手だというのも、その関係性の中での苦手さであって、関係性が変われば苦手ではなくなります。
勝手な見方、決めつけをしないでほしいです。

また、「好きなことを仕事にするなんて無理」「みんな嫌なことも我慢しながら働いているんだから、あなたも我慢して学校に行って我慢して働くべきだ」っていう人もあります。
それは、自分で好きなことをやらないで「意味もない」我慢を強いられた人のいう言葉です。自分で自分にそう言い聞かせて、我慢していることを正当化しているだけです。
自分で決めたことや好きなことなら、どんな壁にぶち当たってもチャレンジすること自体が楽しくなります。
どんな巨大な壁であってもそれを越えるプロセスは楽しいし、乗り越えた達成感、充実感はものすごいものがあります。
「楽しい我慢」って、無理やりな言葉ですが「アリ」だと思います。
それは、不合理なことや理不尽なことに対する我慢とはまるで違います。

好きなことを仕事にするのに必要なのは勇気じゃなくて「やり方を知る」こと、情報です

学校の先生方もそう思い込むしかやっていけないと思っているのではないでしょうか。
私は、もっと自分の気持ちに素直になればいいのにって思いますが、大人が我慢することをNOといえないことが問題なんだと思います。学校は「教育」という名の虐待をしているのです。
それが「子どものため」だと信じて誰も疑わないことが怖いです。

楽しければどんなことだって頑張れます。
嫌なことなら嫌だといえばいいんですよ。

そのためには、自分も我慢しないこと、自分自身が好きなことをして楽しんで生きることが一番です。
社会も嫌なことを我慢する場ではないです。
一人ひとりの持ち場で自分らしく個性を発揮できるようになれば、みんなが幸せになれます。
そんな社会を作る一歩が一人ひとりの行動にかかっているのではないかと思います。
こうやって声を出すこともそのひとつです。

我慢や忍耐が大っ嫌いな私の一意見でした。

子どもも大人も我慢しない。
イヤなことならイヤだといえばいい。
今やっていることがイヤなら辞めて他にやりたいことをしたらいい。
子どもを我慢させないためには、大人も我慢しないこと、自分自身が好きなことをして楽しんで生きることが一番です。
我慢しない。無理して頑張らない。
自分のやりたいことなら、楽しければどんなことだって頑張れます。
大人が楽しく暮らしていたら、子どもはそんな大人になりたいと思います。
子どもがつまらない大人の姿をみたら、あんな大人にはなりたくないと思います。
大人が楽しくしていたら、早くあんな大人になりたいと思います。
あなたは、どっちの大人になりたいですか?

我慢を強いる「新しい生活様式」も強制すべきではない

「子どもの仕事は勉強だ」という人がいる。
そうじゃない、子どもの仕事は「好きなことをして遊ぶ」ことだ。
「子どものころから目標を持て」という人がいる。
そうじゃない、子どもは目標を持たないからいいのだ。今に集中しているからいいのだ。
「子どもは学校に行くものだ」という人がいる。
そうじゃない、「学校には行かない」という選択肢もある。学校が「害」になっている子もいる。
「社会に出ていくためには我慢がいる」という人がいる。だから「学校も我慢するところ」だという人がいる。
そうじゃない、我慢しているとろくな人間にならない。
「好きなことを仕事にするなんて無理」という人がいる。
そうじゃない、好きでもないことをして一生を終わるのか。
より一層の我慢を強いる「新しい生活様式」も強制すべきではないと思う。
今、学校も社会もどんどん変な方向に向かっているような気がしてならない。
どんどん個の自由が奪われていっているような気がする。

学ぶことの意味、働くことの意味を見直した方がいい

最近もいろいろな会に顔を出しているんですが、いつも思うのは何のために学び、何のために働いているのかということです。学校も我慢していくところじゃないし、会社勤めも我慢してやる仕事じゃないです。
でも、多くの人は学校も会社も我慢するところだと思って行っているような気がします。
あなたはどうですか?
月曜日の朝、ワクワクして起きていますか?
学校でも社会でも我慢を強いることによっていろいろな弊害を産んでしまいます。
多様な学び方、教育機会確保、働き方改革がいわれていますが、いうだけ、表面だけの形だけにとどまっていて、結局のところ我慢を強いているような気がしています。
学ぶとはどういうことか、働くとはどういうことか、考え直した方がいいと思います。
豊かさってなんでしょう?
幸福ってどういう姿をいうのでしょう?
自分を生きるってどういうことなんでしょう?
多様な学び方、働き方改革をいうのであれば、その前に学ぶことの意味、働くことの意味を見直した方がいいと思います。

誰にも「自分が必要とされる場所」は必ずあります

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