教育

義務教育といっても学校には必ず行くべきものではない

投稿日:01/12/2015 更新日:

「学校には必ず行くべきものではない」のです。

私は「不登校=悪」という認識が嫌いです。というか、大きな間違いです。
このような考え方は、不登校に対しての偏見に満ちており、いろいろな理由と背景が合って学校に行きたくても行けない子どもも多い現状を理解せず、多様な価値観を認めようとしない教育者など、教育者失格だといえます。

私はこれまでもこのような考え方で、不登校の児童と接してきたつもりです。
(後で、対応事例も紹介しています。)

はじめに断っておきますが、「学校は行かないほうがいい」「学校には行く必要がない」という意味ではありません。

「学校が正義」「教育の場は学校にある」「義務教育は学校へ行くこと」という考え方自体が固定観念です。
世間一般も、大方がそのような考え方で凝り固まっています。

「不登校の原因が親にある」という主張をする人には、「学校には必ず行くべきもの」という暗黙の価値観があります。
「学校には必ず行くべきもの」なのに行かせていないのは、「不登校の原因が親にある」という考え方です。

不登校の主要因は学校というシステムそのもの

学校教育の現場では、今なお大量生産・大量消費を前提にした集団教育がはびこる矛盾が生じています。
教育の多様性といいながら、それを画一的な学校という場に閉じ込めるのは、どう見たって無理があります。

今の学校システムが「合っている」子どももいるとは思いますが、ほとんどは忍耐と我慢を強いられています。
学校の教員もしかたなく子どもの指導に当たっている者も少なくありません。

教員自身の志とは真逆の方向で教育をしている者だっています。

これは、学校の教員のみならず、いろいろな職場での仕事でも同じことがいえると思います。
しかし、「教育のプロ」と呼ばれている職種の人間がそうであってはならない、というのが私の考え方です。

なので、校区制度に縛られたたった一つの学校に登校できないだけで絶望する必要はないです。これは、狭い範囲で物事を考えているだけで、本来の目的はもっと別の所にあるのです。

学校という存在意義の一番重要なポイントは「社会性を身につけて、将来自立するように成長すること」です。そのために、学習をしたり集団生活の体験を通して人間関係やコミュニケーション能力を身につけていきます。

そして、そのための時間と場所を提供してくれるのが学校であり、それが最も効率的、合理的に学べるのが学校、というだけの話です。
効率的、合理的というのも、現状では上の都合、学校教育システムの都合で設けられているのであって、子どもの要望や目的に応じて作られているのではありません。

残念ながら、「やらされている勉強」であって「やりたい勉強」をしたいから学校へ行っている子どもはほとんどいません。教員も、「やらされている教育」をしていて、「やりたい教育」ができている者はごく少数だと思います。

そこで、「学校はどんな理由があれ行くべき場所である」という凝り固まった考えの人には受け付けられないでしょうが、私は本来の目的が叶えられるのであれば、別に学校でなくともいいと考えています。

一人ひとりの願いに合った場所、目的に到達できる場でさえあれば、そこは従来通りの「学校」でなくてもいいのです。
つまり、ゴールが同じであるならば、どのルートを辿っても同じ。最終的な形が同じになるのであれば、別に学校でなくてもいいのです。

子どもが不登校になったときこそチャンスなのです。

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