教育

不登校を選んだことに是も非もない 選ぶ権利は子ども本人にある

投稿日:21/12/2015 更新日:


子どもが親に「学校に行きたくない」といい始めたときは、それは子どもなりに悩み、葛藤し、苦しみ抜いた後のことです。決してふと思って話したのではありません。親はまずその認識をすること、その理解から始める必要があります。子どもが苦しんだことをまず受け止めることからがスタートです。「学校に行きたくない」という言葉は子どもが勇気を振り絞って発した言葉であること、それを子どもなりに懸命に訴えていること、先ずもって親はそれを理解することが最も重要です。
しかし多くの親はそのような考えができなくて、なんとか学校に行かせようとします。子どもの思いを受けとることなく、「なんで学校に行かないの?」
「どうしてこんなこと言い出したの?」
「何とかして学校に行かせなきゃ!」
と考えます。そこには子どもの思いを受けとることもことも子どもを理解する姿勢もありません。
多くの親は「子どもをなんとかしたい」「子どもを学校に行かせなきゃ」と考えますが、実はそれが子どもにとっては大きな負担、大きな障害になります。
そこにあるのは子どもの思いではなく、親自身の不安を解消するという目的です。

学校の対応の前に、まずは子どもの思いの親の受け止め方、親の理解、親が子どもを信じること、ここからスタートする必要があります。

学校に行くか行かないか、どこの学校に行くのかを選ぶ権利は子ども本人にあります。
学校に行くか行かないかを決めるのは子ども自身の意志です。
しかし、多くの親の対応は「なんとか学校に行かせよう」です。このスタートの対応が間違いです。
それを受け入れる親を奇異な目で見ることの方が間違っています。
不登校を許容したことを責めている周囲の人たちの方が間違いです。

一方で、不登校を責めなかった管理職をはじめとするこの学校の対応は正しい判断だといえます。
学校は一人ひとりの状況に応じていつでも来ていい体制作りをしておく、環境の準備を整えていくことをしておくだけでいいのです。

しかし、現状ではそれでもすべての子どもたちを受け入れることは無理です。
だからといって、学校に行かなくてもいいといっているわけではありません。
学校に行きやすいのであれば行けばいいし、行きにくいのであれば他の場所に行けばいいだけのことなんです。

学校に行かなくても学びの場はありますし、なければ自分で探すか作っちゃえばいいです。
学校に行かなくても、勉強も人間関係も学ぶことはできるし、社会性も身につけることができます。

学校に行かなくても未来はあるし社会性も身に付きます

「学校に行かないと将来はない!」なんて大嘘です。
学校へ行かないことだけで子どもやその将来を全否定することの方が間違っています。

学校へ行かなくても明るい未来は大きく広がっています。
子どもの将来はちゃんとあります。

子どもの将来って・・・?

自分でその道を決めて、自分の選んだ道に向かっていけばいいだけのことなんです。
親ができるのは自己決定のサポートをすることと、環境を整え、選択肢を探しておくことくらいです。

不登校が少数派であろうが一人であろうが、それに対応できる環境を作っていくのが大人の責任です。

学校がダメだというのではなく、学校を選べない制度が問題

学校は決して悪いことばかりではありません。いいところもたくさんあります。
「明日も学校に行くのが楽しみ」といっている子どもたちもたくさんいます。
「明日、学校で子どもたちとどんなことをしようか」と、楽しみにしている教員もたくさんいます。
彼らにとっては学校が必要です。学校に行くことによって得るものもたくさんあります。
彼らには「学校へ行く理由」があり、「学校へ行くメリット」があるのです。

しかし、その一方で学校がどうしても合わない子どももいます。
理由ははっきりしていないけど、なんとなく学校がイヤだという子どももいます。
勉強するのは好きだけど学校に行くのは嫌い。
友達と遊ぶのは楽しいけど学校には行けない。
どうしても学校と合わない子どもたちもいます。

「みんながやっているからおまえも同じようにやるべきだ」というのは全くおかしな話です。
それを子どもに押し付けることは教育とは真逆の考え方です。

子どもにとって学校は必要な場所のひとつであるという考え方が大切です。
しかし、「学校はみんなが行くところだ」「子どもは学校に行かなければならない」という考え方は間違いです。
決して学校を否定しているのではありません。
学校には限界があること、教員のできることにも限界があるために、すべての子どもを受け入れることは不可能なんです。

学校が合わない子どもたちが行く場所を選べない、行く場所がないことが問題なのです。
学校がダメ、教員がダメというのではなく、学校も教員も選べない制度が問題なのです。

いかに狭い価値観に縛られているか、限られた枠の中に閉じ込めることがいかに恐ろしいことか。まずはそれに気づくことが大事です。「学校に行かない」と主張している子どもたちの中にはそれに気づいている子もいると思います。
彼らは自分のわがままを通そうとしているのではなく、多様な価値観を認めることの大切さを訴えているともいえます。
だから、学校に行くのもあり、学校に行かないのもありで、大事なことは自分で選択して決められる自由があるということです。
だから、不登校の「正しい理解」と学びの場創りは同時に進めていく必要があると思っています。

こちらに「義務教育は”子どもが学校へ行く義務”ではない」と書きましたが、「義務教育」というのは、「子どもが学校へ行く義務」ではないんです。 実は、「義務教育」の義務は、大人の義務なんです。
「普通教育」を受けることは子どもにとっての「権利」であって、子どもが健やかに学び育つように、「普通教育」を受ける権利を保障する義務は大人にあります。
つまり、行政は、学ぶ権利を保障するための学校を設置する義務があり、親は学校に行くよう、手続きなどを整える「就学の義務」があります。子どもには「普通教育」を受けることができる「権利」があり、大人には「普通教育」を受ける権利を保障する「義務」があるということです。

しかし、現状では学校だけがその対象とされています。
子どもは「普通教育」を受ける「権利」がありますが、その場が保障されていないことが問題なのです。
だから、「不登校」は子どもに問題があるのではなく制度に問題があるのです。
子どもが自分の学ぶ場を選ぶことができないことが問題なのです。

子どもにとって一番問題なのが、それを本気でやっていない、本気でやろうとしていない大人を見ていることなのです。
だから、好きな人が集まって好きなことを勉強したり楽しんだりできるように、自宅を提供して21世紀の松下村塾を作りました。

「学校に行く理由がわからない」積極的不登校のはじまり

小2の長男の積極的不登校。親・学校側の対応は?

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