教育

公教育からはみだすって、まさに「不登校バンザイ!」なんですよ

投稿日:23/02/2016 更新日:

「不登校」というと、ネガティブなイメージを持つことが多いですが、それはこれまでマイナスの情報ばかりが発信されてこなかったことによります。
マイナスの情報によって、「公教育からはみだすと、その後の人生が生きられなくなる」とまで考えてしまい、多くの人はネガティブなイメージを持ってしまうのです。
しかし、このような考え方こそ間違いなのです。
メディアや教育行政からの「間違った情報」によって、そう思い込まされているだけなのです。

世の中には学校へ行かないで大活躍している人がたくさんいます

学校に行かないで活躍している人はたくさんいる「事実」にもっと目を向けよう

決まった年齢によって就学し、そこから一歩もはみ出すことなく就職することだけが人生の進み方であると思いこまされ、そのレールからはずれることが怖いという理由だけで飛び出せないでいるのがほとんどの人の人生です。

また、「不登校」という言葉自体が上から目線のマイナス表現です。「不登校」という言葉が一般的に使われていますが、これは学校に行かない子どもを否定する差別用語です。
「学校に行けない子ども」ではなく「学校を飛び出した子ども」なのです。

「学校という狭い枠」の中では自分らしさが発揮できないので、「自分に合った場所」を求めている子どもなのです。
ネガティブどころか、超ポジティブな生き方をしている子どもです。

学校では、自分らしい学びが限定され、自分の特性を生かした暮らしができない。
そこで学校に行かないと決め、学校以外の学びの場を求めた結果、学校を飛び出しただけのことなんです。
大人の都合で作った制度に付き合うか、自分のやりたいことをするか、どれを選択するかは自分で決めたらいいってことです。まあ、自分の好きなように生きていったらいいってことです。だから、「学校には行かない」というのもアリなんです。
まさに、「不登校バンザイ!」なんですよ。

不登校はイノベーションのはじまり 「教育維新」はもう始まっている

「不登校の特権」を生かして、自由に学び自由に遊ぼう

理不尽なことにも何も言えない不自由な学校

現実の学校を見てみましょう。

あなたの子どもは、学校に行くのを楽しみにしていますか?
授業中の表情はどうですか?
授業は分かりやすく楽しいですか?
一人ひとり子どもの個性を伸ばすことができていますか?
学校の教員は学校に行くのを楽しみにしていますか?
教員自身が今やっている授業が楽しいですか?
子どもたちと勉強をすることに充実感がありますか?
子どもの学びたいことを授業で展開できていますか?
「みんなちがっていい」という評価をしていますか?
「みんな同じが都合がいい」教育をしてはいませんか?

「学校は子どものためにある」って大人はいうけど、結局学校って教員のため親のため、大人の都合で作られたものだと思います。それに付き合わされなきゃいけない子どもって不幸なんじゃないかって思います。
なんとかして学校に行かせよう行かせよう、勉強だって本当はやりたくないのに、やらせようやらせようってしている。子どもはそれに付き合わなくてはいけない。
だから、本当にやりたいことがやりたい子は公教育からはみだすしかない。これが今の日本の学校システムだと思います。
従来の学校制度のもとでは学校で決められたカリキュラムの中で、狭い世界の中で拘束して教育させられることはつまらない。

これまでの教育行政の「不登校対応」に問題があります

「不登校」をネガティブなイメージでとらえてしまうのも、これまでの教育行政の対応の仕方にあります。
「不登校児童生徒」という固定した呼び方にも問題があります。
学校に行くとか行かないとかで何も決まるわけではありません。
どんどん学校からはみだしたらいいです。どんどん自分のやりたいことをやったらいいです。
まさに「不登校バンザイ」なんですよね

教育行政や学校のやっている「不登校支援」は「させたい支援」です。
だから、学校に行かないという選択をした子にはそれは迷惑でしかありません。また、学校に行きたい子にとっても学校はしんどい所になっています。
だから、教育行政や学校には「不登校」を解決することはできません。
大切なことは、すべての子どもの個の自由を尊重し、学習権と生きる権利を保障することです。
自分のことは自分で決められる。そしてそれが尊重され実現できる場を保障することです。
現在行われている「不登校支援」にはそれが欠けています。
だから、現状の中では自分のやりたいことを自由にやっていったらいいです。
それを親や学校が勝手にレールを敷くようなことがあってはいけません。

日本の学校教育は「前産業時代に特化した時代遅れの教育システム」である

自由な学びの場が増えています

一方で、今回報道特集で紹介されている「自由な学びの場」の子どもたち、実際に学校に行かない選択をした子どもたちの方が生き生きして暮らしています。
教育本来の多様な学びの場で過ごしている子どもの方が生き生きした表情をしています。
これって考えてみればごくごく当然のことなのですが、「やりたくないことを強制される学校」よりも、「自分の学びたいことを自由に学べる場」の方がいいに決まっています。

番組では鳥取県智頭町にある新田サドベリースクールも紹介されていました。
サドベリースクールの理念は子供の主体性を尊重、自主的な活動で自分で思考、判断する力を身につけさせる。一言で言えば、子供を信じるということ。
今の公教育は学びたいという気持ちを待たずに与えるばかり。学ぶ喜びは得づらい。
サドベリーは自分で学びたいという喜びを積み上げていく。遊びの中の学びを繰り返してきた子供は、この勉強が必要だと思った時にすごい集中力をもって学んでいく。
子供は学びたいと思ったとき、最速で知識を吸収する。
子供とスタッフは対等の関係。ルールも全員で相談して決める。
その中で、ある男の子がこういっていました。

日本では学校制度の外に置かれているため、公的な支援は得られない。
カリキュラムの中で毎日決まったことを時間通りにさせられることに耐えられなくなってきて不登校に。

「先生が命令して、みんながロボットのように見える。ぼくはそれはいやだ。」

そこで1日どう過ごすかは子ども自身が決める
カリキュラムも時間割も教科学習もない、先生も教えない、まさに「自由な学びの場」です。
子どもは与えなくても学ぶ、子ども自身が学びたいと思ったときが学び。
子ども本来の「力」を信じ、見守り、待つ。
すべての子どもは「力」を持っている。

フリースクール東京シューレの奥地さんは、「学校以外の居場所を作っているが、それは学校を否定しているのではない。学校もありだし、それ以外の場もあっていい。」といいます。
私も全く同感です。
子どもが学校以外の場で生き生きと学び過ごすことができるのであれば、それを認めようという考え方です。

京田辺シュタイナー学校では、子どもたちの本当の成長に向けて授業計画を立案し、自由な学びの場が保障されています。シュタイナー教育では、子どもの成長段階に応じて、その時期に必要な力をゆっくりと育てていきます。
メインの授業では、ひとつのテーマのもとに多教科を融合させ、長い時間を使ってじっくり学びます。手仕事・農業・木工などの実技や、実社会に出て行う職業体験など、体験を通した学びも多くあります。
大人同士の関係はフラットで、誰もが安心して自分の意見が言える風土です。子どもを真ん中において、親と教師が語り合いながら、共につくっていく学校です。

兵庫県には、まっくろくろすけというデモクラティックスクールがあります。
「人はみな自分の中に好奇心を持っていて、自分が成長するために必要なことを自分のペースで学んでいく」ということを大切にしています。だから、大人が設けた時間割・テスト・成績・クラス分けなどはありません。自己の動機による自己決定の毎日の経験が本当の学ぶ力をつけていきます。
自分の好きなことをする中で、自分の学び・成長に自分で責任を持ち、自分の人生をつくっていく力をつけていっています。 また異年齢の集団の中で、毎日が民主的に営まれている自治の経験を通して、他の人たちとともにお互いに過ごしやすくしていくことを考えていきます。
その中で責任感・社会性・協調性を自ら身につけていきます。「自由」と「尊重」といったスクールの中で、自分にも自信と自尊心を持ち、かつ他の人や全体も思いやれる成熟した人へと成長していきます。

自分が学びたいことがあれば自分で学べる

番組では、「時代の変化とともに・・・」という言い方をしていましたが、これは違います。
どんな時代であっても、自分が学びたいことがあれば、自分たちで学んでいました。
その場所がなければ、青空のしたでも家の軒先でも勉強していました。

「フリースクール」という形こそ違いますが、このような学びのスタイルは昔からあったのです。
というか、今よりも昔の方がもっともっと「自由学校」だったといえます。
私たちの中学時代は枠の中にはめられているという感じではなく、みんな勝手に自由に動き学んでいた

いかにこれまでの学校教育が子どもの自由と自主性を無理をしてきたか、強制教育によって子どもの個性がつぶされてきたかということです。意味のないことをやらされるとやる気は落ち無気力な人間を生み出します。これは、教員も子どもも同じです。それでは生徒のやる気をどんどん奪っていくだけですが、それをありがたがる保護者がいるのも事実です。
その要因は学びの本質とはかけ離れた学校教育を受けさせられてきたからです。

私自身、保育園に入園した瞬間に「行きたくない!」と思っていました。3歳のときです。
「なんでやりたいことを勝手に決められて、みんながおなじことをさせられなくてはいけないの?」
それいらい、妥協しながらなんとか学校生活を送りましたが、十分に納得はしていなかったのです。

これは、特別な考え方だとは思いません。
子どもの学びの形が変わったから学校以外の場が生まれてきたのではなく、もっと前から子ども本来の学びの場をきちんと保障すべきだったのです。
さらに、「学校以外に学びの場はたくさんあり、どこに行くかは自分で決められるんだよ。」というように、社会的な価値観を変えていく必要があります。
やりたくもないことを無理やりさせられるより、自分のやりたいことをやりたい場所でやりたい方法でやったほうが楽しいに決まっています。大人が作った制度に付き合うか、自分のやりたいことをするか、どれを選択するかは自分で決めたらいいってことだけど。
これは子どもだけでなく、大人にもいえることです。

あなたは、あなたのやりたいことで生きていますか。
上からの命令で働かされて、つまらなくないですか。
あなたの人生、あきらめてしまってはいませんか。

学校に行かなくても子どもは成長している「さなぎ~学校に行きたくない~」

学校に行くとか行かないとかで何も決まるわけではありません

「不登校」をネガティブなイメージでとらえてしまうのも、これまでの教育行政の対応の仕方にあります。
「不登校児童生徒」という固定した呼び方にも問題があります。
学校に行くとか行かないとかで何も決まるわけではありません。
どんどん学校からはみだしたらいいです。どんどん自分のやりたいことをやったらいいです。
まさに「不登校バンザイ」なんですよね。

教育行政や学校のやっている「不登校支援」は「させたい支援」です。
だから、学校に行かないという選択をした子にはそれは迷惑でしかありません。また、学校に行きたい子にとっても学校はしんどい所になっています。
だから、教育行政や学校には「不登校」を解決することはできません。
大切なことは、すべての子どもの個の自由を尊重し、学習権と生きる権利を保障することです。
自分のことは自分で決められる。そしてそれが尊重され実現できる場を保障することです。
現在行われている「不登校支援」にはそれが欠けています。
だから、現状の中では自分のやりたいことを自由にやっていったらいいです。
それを親や学校が勝手にレールを敷くようなことがあってはいけません。

学校を飛び出した子供たち フリースクールのすごさ

学校の在り方が問われる一方で、学校を飛び出して新たな学びの場を求める子供が増えています。
個性的で多様な教育を受ける子供の取材をまとめました。

TBS報道特集 学校を飛び出した子どもたち (2016/2/20 放送)

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