教育

学校って行っても行かなくても 大丈夫かどうかは本人次第です

投稿日:24/09/2018 更新日:

子どもの不登校対応は親の思いが優先しているケースが少なくありません。不登校はなんの問題でもないのに、子ども本人にはなんの責任もないのに、親や周りの大人が「問題」にすることで「親を含めた周りの大人が要因」になって子どもを不幸にしていることが多いです。
「不登校」は子どもの問題ではなく、大人が作り上げた問題だから大人が解決しなければなりません。
そのためには、まずは子ども本人の思いや希望をしっかり聴くことが最も大切です。
大人が他者の責任にしたり、他者の批判をしてもなんの解決にもつながりません。

「学校って行かなくても 大丈夫?」
この質問に対して、「行かなくても大丈夫」なのか、「行かなければ大丈夫じゃない」のかという答えを求められます。
これは、本人よりも保護者から聞かれる質問に多いです。
結論は「本人が大丈夫だと思えば大丈夫」です。大丈夫かどうかは本人が決めることです。大丈夫かどうかは本人次第です。

また「大丈夫」というのも、実に抽象的な表現で、なにが大丈夫なのか、どんな状態が大丈夫なのか、これも一人ひとり異なります。
親の考えている大丈夫と本人の考えている大丈夫には認識のズレがあります。
親の「こうしてほしい、こうなってもらいたい」と本人の「こうしたい、こうなりたい」にはズレがあります。

保護者からの質問には、 「不登校になってもうちの子の将来は大丈夫?」という意味が含まれていることが多いです。
これも今の時点ではっきり答えることは難しいです。
「大丈夫な将来」とはどんな姿をいうのかによって違います。大丈夫な状態も一人ひとり異なります。
ただひとついえることは「学校に行っても行かなくても将来はやってくる」ということです。「学校に行かないと将来がない」なんてことは絶対にありません。
「どんな将来」がやってくるかは誰にも分かりませんが、本人が「なりたい姿」は本人が決めることができます。
「大丈夫な将来」の姿も親が決めることではなく、本人が決めることです。親が大丈夫だと思わなくても、本人が大丈夫だと思えば大丈夫です。
大切なことは、親がどうなってほしいかではなく、本人がどうしたいのかです。
学校に行かなくても大丈夫かどうかは、「自分は何をしたいのか」「自分は何を学びたいか」で考えたらいいです。
学校は本人の必要に応じて利用したらいいです。自分の将来も自分で決めることです。そしてそれも「今すぐ」決めなくてもいいです。

「夢が叶った」かどうかも本人の自己評価です。自分が叶ったと思えば叶ったといえます。
親や周りの人たちが叶ったと思ったとしても、本人が叶ったと思わなければ叶ったとはいえません。

親としては「なんで?どうして学校に行かないの?」と、学校に行かすことばかり考えと考えるのも親として当然なことだと思います。
でも、それって親の勝手な考えです。
親のできることは本人の意志を最大限尊重することです。
学校も本人の必要に応じて利用したらいいです。
バイトは最高の学びの場だと思います。これからがまだまだ楽しみですよ。
じゃんじゃん稼ぎまくって、自分の好きなことに使えばいいです。(笑

親の世間体や学校の教員の面子のために学校に行くのですか?

親が「学校に行かせたい」と思っているために子どもは「学校に行かなければならない」と自分を追い込むことがあります。
「学校に行きなさい」という登校刺激は学校からよりも親からの方が厳しくてやっかいです。
親は子どもが罪悪感を感じることを学校のせいにすることがありますが、実は親のせいである場合も少なくありません。さらに、親はそれに気づいていないことが多いです。
これは親が子どものことを理解していないから、親が子どもを信じていないから、子どもの思いを尊重できていないからです。
親の自己満足のために子どもが迷惑していることを理解してもらいたいです。

また、子どもを変えようとしているのは学校の教員や専門家だけではなく、親の場合も多いです。
自分の態度や対応を変えないで子どもを親の思い通りにしようとすることが最悪です。
そのために子どもが自傷や他害をするケースが多くみられます。このような子どもの「荒れ」は親に要因がある場合もあります。さらに酷いことが親はそれに気づかないで他者のせいにすることがあります。
親の態度や対応、意識が変われば子どもは自分本来の姿、自分らしさを取り戻します。
だから、これは子どもの課題ではなく、親の課題なんです。そのためには親の態度や対応を変えることが必要です。

親の世間体のために学校に行かされる子ども、学校の教員の面子のために学校に来させられる子どもは不幸です。
「学校には行きたい」のに学校の環境や教員の態度や対応が悪いために行けない子どもも不幸です。
子どもの意思を尊重できない親や教員が周りにいる子どもは不幸です。
それは親や教員の自己満足なのですが、「それが子どものためだから」と思い込んでいる親や教員も不幸です。
このように子ども本人にはなんの責任もないのに、周りの大人が不幸の要因になっていることが多いです。
つまり、不登校は子どもの問題ではなく、大人が作り上げた問題なのです。
だから、大人が解決しなければなりません。
そのためには、子ども本人の思いや希望をしっかり聴くことが最も大切です。
「親が子どもにどうなってほしいか」ではなく、「子ども自身がどうしたいか」で考えなければいけません。
親は子どもの話をきちんと聴いているでしょうか?
聴いていないでしょう。
学校の教員は「子どものためだから」といいながら、それとは真逆な対応をしてはいないでしょうか?
真逆の対応をしているでしょう。
だから、不登校だとか不登校じゃないとか関係なく、子どもの周りのすべての大人はまず「子どもの話を聴く」ことから始める必要があります。
それ抜きに子どもの幸福の実現はできません。

大切なことは、一人ひとりに合った環境と関係性

大切なことは、一人ひとりに合った環境と関係性だと思います。そのような場や関係を作るためには出会いが必要です。
そのためにできることは人と人をつなげていくことです。そして、その場や関係性を選ぶのは自分自身です。
不登校の場合も親や周りの人のできることは、場や関係性が作れる情報提供です。その中から自分に合った場や人を本人が選んだらいいです。

田舎ならではの狭いコミュニティが辛かった。吉藤オリィ×小幡和輝対談(前編)

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