教育

新型コロナ騒動で今の学校を取り巻く状況と「不登校」について思ったこと

投稿日:19/03/2020 更新日:

今の学校を取り巻く状況と「不登校」について思ったこと。
学力格差を生じないようにとか、学びの保障とか今さらのように言われていますが、学力格差の問題は今に始まったことではありません。
学校が休校になり、子どもの居場所をどうするか、学校以外の居場所がないことも今さらのように言われていますが、これも今に始まったことではありません。

学力格差はコロナ以前に学校環境の格差、学習環境に差があったわけです。それが今顕著に表れているだけのことです。というか、コロナの影響によって今はじめて多くの人たちが気づき、自覚を始めだしたといえると思います。
文科省や教育委員会は学校間格差を必死で止めようとしていますが、私はそれにも関わらず今後どんどん拡がっていくと予想しています。公立と私立の格差、個性的で魅力のある学校とその他の学校との差はもっと顕著になっていくと考えています。私は、それはそれでいいと考えています。全国一律画一的な学校にするのではなく、個性的で魅力のある多様な学びの場が誕生していく方がいいです。そこで重要なことは、子どもの自由な学び方の選択権を保障することです。
「不登校」というレッテルを貼られて差別を受けてきた子どもたちは、長い間、学校ともどこともつながれない状態に置かれていました。
学校以外に居場所がないために、どこにも行かれないまま放置されたままになっていました。
つながりたいと思ってもつながれない、学びたいと思っても学べない、どこにも行けないまま放置されてきた子どもたちがいます。学校に行く子と行かない子を分断差別して格差を生んでいたのです。

今さら慌ててそれを埋めようとしていますが、これからどこまで平等な対応がされるのでしょうか?
ネット環境が整備されることはいいことだと思いますが、ただ単にこれまでの画一的で均一の学校教育スタイルをオンライン上に再現するだけでは意味がないと思います。個別の最適化された支援をどうしていくのかが大事です。
これまで多くの人たちは「不登校問題」は他人事と考え、関心がなかったと思います。
今、全国の子どもが学校に行けない状態となり、はじめて学校に行けないことを自分事として考えるようになっています。
子どもの居場所についても、同様です。
すべての子どもの学びの保障と居場所の確保について、しっかりとした道筋がつくようにみんなで考えていきたいものです。
自ら学び考える力を育てるための「学びの自由化」によって、「すべての子どもたち」が多様な学びの場の中から自分に合ったところを選ぶ形になるのがいいと思います。そうすれば「学校に行く行かない」で差別を受けることはなくなり、「不登校」という概念は意味をなさなくなります。

学校に行きたくても行けないという状態がどうゆうことなのか

この度の臨時休校、多くの保護者は子どもが不登校になったときと似たような心理ではないかと思います。
保護者には、子どもから「学校に行きたくない」と突然告げられます。

・子どもが学校に行かないで、勉強が遅れないか不安
・進学できるのか、進路のこと
・子どもだけ家で過ごす
・昼ごはんをどうする
・友だちと遊べなくなるのでは
・家以外にいくところがない
・家でずっとゲームばかりしていて不安
・不規則な生活、昼夜逆転になってしまわないか

などなど、いつ解決するかわからない見えない不安が襲ってきます。

「ゲーム三昧」「勉強しない」「昼夜逆転」の「不登校3大あるある」が、今まさに多くの保護者が感じていることではないでしょうか。

この度のコロナ騒ぎで一斉休校になり、さまざまなサービスが提供されている。
学びについてもそうだが、それ以上に子どもの「預け先」が一番大きな問題となっている。
「子どもだけで家に置くのは心配。」
「子どもをどこに預けよう?」
「仕事が休めない。」
「このままでは生活ができなくなる。」

親がどれだけ「学校」を「子どもの預け先」として依存してきたかということだ。

その一方で、年々増えている「不登校」の家庭に対してはそれがほとんど放置されてきた。
具体的な手立ても示されないで、学校環境はそのままで、子ども本人の思いを無視して学校に行かせることを目的とした指導のみが続けられてきた。
そうやって放置された子どもたちは学びの保障も居場所の提供もほとんどない状態で、親たちは個々が懸命に闘ってきたのだ。
しかも、この度の休校扱いの1ヵ月という期間限定ではなく「不登校状態がいつ終わるか分からない」中で必死に闘ってきた。

しかし、「不登校」当事者本人とその家族以外は、それには全く関心がない。
自分の子どもは「普通に」学校に行っているからまさに他人事なのだ。
「不登校であること」は、苦しい。ただ、ただ苦しい。
でも、この苦しさは、なかなか理解されない。
学校の教員からも「我慢ができない、逃げている。やる気が足りない。暗い。」
そんなふうに見られることも少なくない。
勇気を出して相談しても、
「気にしすぎだ」「もっと頑張れ!」「他の生徒は来てるのに頑張りが足りない。」
こんな言葉を言われることも多い。

そんな中で、学校へ行けない子どもたちはそれぞれが静かに戦っている。
学校にも居場所がない、家も安心して過ごせない。まして外出などできるはずがない。
親にも学校の教員にも誰にも理解されず、思いを聴いてもらえない、分かってもらえない、一人孤独に戦っているのだ。

そんなとき、私たち大人ができることは、子どもの不安に寄り添い、「そのままの気持ち」を理解してあげることです。
子どものことを心から信じて見守ること。
決して何かをさせようとしないこと。
子どもが自己決定するまで待つこと。
そうすることでしか、子どもの不安感を小さくすることはできない。

大丈夫、大丈夫。
あなたの近くにはあなたのことを理解してくれる人がきっといる。
信じられる大人もいる。
出口は絶対に見つかる。
少しずつ、少しずつ。

長年「不登校」の家庭は放置されほとんど手立てがなされていません。
不登校は問題行ではない、不登校は個人的な理由でもないんです。
しかし、現実として不登校は苦しい。
精神的な辛さだけでなく、経済的負担がのしかかり、排除や差別がある。
それで親も子も大きな不安になるんです。
それが「不登校問題」だと考えています。
「不登校」の家庭は時代の先駆者だということがはっきり分かりました。
だから、こんな世の中をみんなでいっしょに変えていきましょう!

五味太郎さんも「休校はじょうぶな頭とかしこい体になるチャンス!だ」といっています。
「人間、死ぬまで勉強です!?そういうことになっているんです。勉強なんかしている場合じゃない!なんでそんなに急ぐのかな?」
「ガキたち、これはチャンスだぞ」初等教育って「大きなお世話」だの中で、「学校が一斉休校になり、これまで「当たり前」だったことが崩れている。これは、むしろ『学校化社会』を問い直すきっかけになる。自分が何がしたいかわからなくなっちゃってる。誰かに見てもらって点数つけてもらって休みもお金ももらう。おれは『学校化社会』って名づけたよ。つくづくこの社会には、子どもに人権なんてものはないなと思ってる。」

私もまったくその通りだと思います。
学校に行かなくても学習はできる、職場に行かなくても仕事ができる。
今回多くの人たちが感じたと思います。
学校の教員もなんとか子どもたちの学びや関係を確保しようといろんな工夫をしています。
多分今回のようなことがなければやっていないと思います。
いつでもどこでも学ぶことができる、仕事もできることを再認識して学びの形や働き方が変わっていくと思います。
コロナ休校はまたとない教育改革、教員の働き方改革のチャンスなのです。ただの休みではなく、学習法の進化、脱『学校化社会』のチャンスなのです。

今こそ「学校化社会」の当たり前を崩すチャンス!

ある日突然、当たり前が当たり前でなくなる。
これは、むしろ「学校化社会」を問い直すきっかけになる。
学校に行けない、行かない「不登校児童生徒」という社会的差別を受けている子どもの家庭は、それを何十年も前から経験している。
言われたことを言われた通りにする「よい子」を造るのが学校というところ?
みんなに同じ時間に同じことをさせられる「よい先生」がいるのが学校というところ?

そんな窮屈で息苦しい教室の中で、ちょっと動いていると「多動症」なんて呼ばれたり、つまらない授業なのにじっとして何もしていないと「学習障害」なんて呼ばれ方をされてしまう。
これって、子どもとして「当たり前の反応」なんじゃないの。

「当たり前」といわれる一本のレールの上をただ黙って言われた通りに進んでいく「学校化社会」の中で、学び方も働き方もお金も休み方も他者から与えられるのを待っている。与えられないと何もできない。
だから、休み方も分からないから「やることなくてヒマー」なんてことになる。
ものがなくなると「○○がないからできない~」なんてことになってしまう。
やめ方も分からないから「みんながやってるからうちも」ってなってしまう。
「みんながやっているから」「みんなと同じだから」って、結構説得力がある理由かもしれないにも書いたように、その理由は「しかたがないから」「右へならえ」「なんとなく」「みんながやるから」にすることで、納得したような気持になる。

それは、自分で考えて自分で決めて自分で動くことを学んで来なかったってこと。
だって、誰かの命令を聞いている方が楽だもの。言われたことをやっていればいいから楽だもの。自分で考えない方が楽だもの。
「不登校児童生徒」と呼ばれる子どもたちもその親たちも、自分で考えて自分で決めて自分で動くこと大切さに気づいたといっていい。「みんながそうしてるから」ではなく、「自分はこうしたい、こうしたくない」と決めてそうしているのだから。

それって、ホントにだいじょうぶ?

コロナは、これまで「当たり前」だったことを崩して、「それホントにいいことなの?」「それって、ホントにだいじょうぶ?」ってことを考えさせるためにやってきたんじゃないかなあ。
それでもあなたは自分で考えることをやめますか。
「本当に、今、それは本当に大切なのか?」
一度立ち止まって考えてみたらいい。

「学びは子どもたちのもの」

まったくその通り、無理して学んでいないかい?
学んでいる「フリ」をしていないかい?
大人に「そんたく」する子どもを造っていないかい?
子どもから「自分で考える」時間を奪っていないかい?
子どもから自由を奪ってはいないかい?
せっかく自由に考えられる時間をもらったのに、結局やらせることに戻そうとしているんじゃないの。

不条理を無理に飲み込むしかない先生たちの心の病が多いのは当たり前。だって、先生という職業を続けるには自分を殺さなければいけないから。不条理に妥協したら、自分が自分でなくなるから。自分が壊れてしまうから。

大事なのは、どんな時にも自分で判断して自分でリスクを背負い、自分で生き方を選ぶこと。
今の自分に納得できているかい?
自分に納得して、今を生きているかい?

年齢を重ねてきて、ようやく△も受け入れられるようになったけど、やっぱり自分に納得のできないことはできないよ。

「例年通り」とか「前例がないからできない」とかよく言うよね。
今こそ「例年通り」とか「前例がないから」とかいう言い訳なんかできないときだよ。
もう今年は「例年通り」にはできない。これから「前例」を創っていける大きなチャンスなんだよ。
そんな貴重な一年にすることができるチャンスなんだよ。

この度のコロナ騒ぎは確かに大変だけど、この機に子どもの人権について、子どもの学びについて、そしてすべての人の生き方についてみんなが考える契機になったらいいと思います。
すべての子どもたち、すべての人の幸福に向けて。

オンライン授業の前に「つながり格差」の解消を

オンラインでの一斉授業についても、家庭によってネット環境が異なります。オンライン授業には、自宅での安定したインターネット環境が必要となります。
「通信格差」が「教育格差」につながってしまいます。「デジタル格差」が「教育格差」、「教育機会の格差」につながります。
さらに、オンラインでの一方的な一斉配信は1分するとたいぎくなり、眠たくなります。

「オンライン上の教室」での一斉授業配信は「勉強嫌いの子」が大量生産される

これが一日続くのは、子どもたちによっては苦痛でしかないと思います。そのうえ、これ以外にも、膨大な量の宿題まであります。

大切なことは、子どもたちとの「つながりをキープ」することだと思います。1対1での対人関係、1体多、多対多のコミュニケーションの場を確保することの方が大切だと思います。「つながり格差」をなくす努力が求められると思います。
それはオンラインでなくても、ネット環境がなくても、電話、手紙、訪問など、いろいろな方法があります。

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